「パラオ諸島戦没者遺骨収集帰還派遣」出張報告
理事長 久光
昨年12月1日から12月11日まで「パラオ諸島戦没者遺骨収集帰還派遣」団のオブザーバーとして参加しました。厚労省職員の方を団長として、団員は4名。他に、オブザーバー4名が同行しました。
※【パラオ共和国(パラオきょうわこく、パラオ語: Beluu ?r a Belau、英語: Republic of Palau)、通称パラオは、太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる国である。首都はマルキョク。2006年10月7日に旧首都コロールから遷都した。日本との時差はない】 参加に際し、若干、物見遊山に近い気持ちではありました。しかし、出発前に厚労省の方から、「理事長は、大丈夫ですか」すなわち、遺骨収集帰還派遣に耐えうる体力をお持ちですかとの質問がJDRAC事務所にあり、半信半疑の状態で成田を発ちました。
しかし、現地パラオに入り、団長始め団員の全く予想を覆す真摯な活動ぶりに圧倒されました。私どもオブザーバーも、団員と全く同じ行動で連日働きました。
現地の方は、パラオ政府関係者が現地の道案内と活動の支援はしましたが、主役は団員とオブザーバーに、パラオの旅行社の若き男性随行員2名でした。
団長・副団長とも連日泥まみれで活動されました。夜は、資料のまとめなどで、かなりのハードワーク、その活動ぶりは私の予想を完全に覆すものでした。感心しました。 団員のT女史は、日本青年遺骨収集団の団員。筋金入りの遺骨収集家?で遺骨収集では、私に手取足取りで指導をしてくれました。頭蓋骨や大きな骨は、私でも、判別も容易ですが、小指、足首の骨などは、珊瑚や石コロとの区別が容易ではありません。そのノウハウの指南を受けました。
団員の水戸二連隊ペリリュー島慰霊会のK氏は、ペリリュー島36回目の来島で文字通りのペリリュー島を知り尽くしているベテランです。70代の元気おじさんでした。オブザーバーS氏は、K氏とともに当会の両輪のようで、50代の方でした。K氏の本当の手足として活動されているようでした。
遺骨鑑定人S教授は、ホテルで、連日、私どもが収集してきた遺骨の分析をされ、日本人か否か、何柱に当たるのかを分析されました。明るい人柄のスポーツマンで、団員から信頼されている方でした。また、S教授の研究室の大学院生2名が、遺骨収集は初めてだったそうですが、若さと体力で大活躍をしてくれました。
肝心の私(最高齢76歳)ですが、寄る年波には勝てず、かなりばてましたが、一応、団長にはあまり迷惑もかけず?ゴールインしました。
※外務省HPより http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/palau/